前妻がADHD(発達障害)グレーゾーンで結婚後半年で離婚した話【経験談】|田舎移住DIY夫婦のブログ
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前妻がADHD(発達障害)グレーゾーンで結婚後半年で離婚した話【経験談】

go

この記事を書いているのはgoです。

このテーマについてはあまり触れたくなかったのですが、
私には今のパートナーに出会う前に離婚歴があります。
29歳の頃の話です。

現在は31歳になり、
新たな出会いに感謝し
幸せな日々を送っています。
全てを理解した上で一緒にいてくれる
パートナーには本当に感謝しかありません。

離婚をする前はかなり悩みました。
書籍を買ってきては読み漁ったり、
同じような経験をした先人のブログなどを
読んだのも覚えています。
私の経験をここに記しておくことで
読んでくれた誰かの救いの手になれば幸いです。

このような方に読んでほしい記事です

・離婚することを考えている方
・離婚することを躊躇している方
・自分や結婚相手にADHD(発達障害)がある人
(もしくはグレーゾーン・疑いがある人)

生活の中で感じた前妻への違和感

当時結婚していた彼女と離婚に至るまで、
自分に大きな非があったと思っています。
実際、離婚前の別居中は自分を責め続けていました。
相手だけが悪いとは決して思っていません。
その前提があっての話ですが、
結婚生活が始まった当初から彼女に違和感を感じ続けていました。

結婚生活がうまくいかず、わずか半年て別居することとなりました。
別居中のある日、NHKでADHD(発達障害のひとつ)の方の
ドキュメント番組を観たときに
あまりにも彼女にリンクする点が多く鳥肌が立ちました。
そして、彼女が幼い頃に「発達障害の疑いあり」と医師に言われていたと
彼女の母親から聞いていたのを思い出し、さらにハッとしました。
恥ずかしながら発達障害・ADHDが何なのか
その時点で全く知識がありませんでした。

それから本を読み漁りました。
すがるような思いで何冊も読みました。

数冊本を読んでそれなりに知識を得た段階で思いました。
せめて彼女の母親から話を聞いた時、
もしくは違和感を感じ始めたタイミングで
一冊でも発達障害に関する本を読んでいれば ・・・と。
彼女を理解したり手を差し伸べることもできたのではないかと
後悔しました。

そして、「なぜそんなことも出来ないんだ」と責めていた
自分を責める日々に変わりました。
ただ単にできないのではなく、
やりたくてもできないし、
周りから常識がないと言われても、
一般的な考えと自分の考えがあまりにもアンマッチだったのかもしれないと気づいたのです。

思い返すと、
彼女も自分自身に対して
私が感じた違和感に近いようなことを口にしていました。

彼女が自分自身について口にしていたこと

・自分では普通にしているつもりが自分だけ周りから
 強い反感を買うことが多い
・興味がないことは全く話が入ってこず、
 「ちゃんと聞いてる?」といつも聞かれる
 ひどい時は話の途中で寝てしまう
・興味があることについては集中力が強い
 (彼女の場合は本、漫画を読むこと)
・過去の彼氏など親密な関係になればなるほど
 修復不可能な別れ方をしてきた
・何かを論理立てて人に説明することができない
 話が次々飛んでしまうので聞いている人に
 「何の話?」と言われてしまう
・考えても無駄だから即決する

彼女は子どもの頃に発達障害を疑われていましたが、
その後、手はかかったものの生活に支障があるレベルではなかったのでグレーという状態にしておいて、それ以上の検査を受けていないようです。
詳細検査を受けていないので彼女がADHDだと断言することはできません。
あくまで半年間という短い結婚生活の中で私が感じたこと、彼女自身が口にしていたことをバックに経験談を記したいと思います。

ADHD(グレーゾーン)の生活の実態

ここからしばらく続く生活の実態のエピソードは
相手への愚痴を書きたいと言うわけではなく
経験談の読み物として捉えて淡々と読んでください。

離婚を考えていた当時の私は
自分と似たような境遇の人の
経験談から学びを得たいという思いが強く
本や記事を血眼になって探していました。
もしかしたらこの記事を読んでくれた人の中に
同じような境遇の方もいるかもしれません。

ADHDと診断を受けている方
またはグレーゾーンの方、
そういった特性が自分にあるのではと考えている方、
そういった相手を理解しようとしている方、
結婚した相手に対してADHDの疑いを持っている方
などに向けて私の経験を書きます。

結婚や離婚というのは大きな決断です。
誰かの参考になればと思って書いています。

物事の優先順位を決めることができない

エピソード1

結婚する前は遠距離恋愛をしていた関係で
月に一度の頻度でどちらかが飛行機に乗って
会いにいくようにしていました。
たまにしか会えないのに、
予定の時間に待ち合わせ場所に来たことはありませんでした。
最長で半日待たされたこともあります。

さらにそのタイミングで他の予定を
ダブルブッキングしてしまうことがあり、
その度に喧嘩していたのを覚えています。
「悪いことをしているつもりはない」と言ったり
なぜ怒られているのかわからないという表情をするので
余計に強い怒りをぶつけることになってしまいました。

エピソード2

お互いの両親が初めて揃う顔合わせの際に、
「職場の球技大会で勝ち進んでるから私は遅れて出席する」
と直前にLINEがきて、本人不在の異様な状況の中、
顔合わせの会がスタートしたのは苦い思い出です。
相手側の母親は平謝りでした。

遅れて会に来た彼女は
「どうしても優勝したかったし、得点王になれそうだった」
とのことでした。
その後、美味しそうにご飯を食べるので
まだ会うのが2回目の両親としては
怒ったり注意したりするわけもなく、
むしろ”天真爛漫な憎めない娘”になるわけです。

エピソード3

結婚後、義実家(新幹線の距離なので泊まりがけ)にお邪魔した際には
夜になると本人は地元の友達と飲みに行ってしまうので
「あの子ったらごめんなさいね」と言われながら
義両親と晩ご飯を食べるのは今考えるとおかしい光景だったかと思います。

異常なほど予定がいっぱいで、
周りに迷惑をかけることも多いので、
遊びを控えるようにと私も言うようになりました。
「自分が遊びたい時に遊べないのは許せない
もし子どもが出来てさらに遊びに出たりすることに
口出しされるくらいなら離婚する」
というあまりにも極端な言葉を言われたときには唖然としました。

自分がやりたいと思ったことについて
やり遂げたいという思いは勿論良い方向に働くことも多く、
仕事においてもその思いが強いようです。
その反面、たとえ常識はずれでも優先してしまう
傾向があるので周りの人に迷惑をかけてしまうような
出来事が多かったように思います。

部屋や鞄の中が乱雑で忘れ物も多い

エピソード1

結婚生活が始まってから別居するまで
いつか片付けてほしいと伝えていた衣服類や相手の持ち物が
片付けられることはありませんでした。

エピソード2

電気、エアコンなどの消し忘れが多く、
いつも注意しなければならず
帰宅後はそれが原因でいつも喧嘩していました。

料理は好んでやってくれる数少ない家事だったのですが、
夕飯後に調理用のIHの電源消し忘れが短期間で3度あり、
寝る前に消し忘れがないかチェックすることが
日課になっていました。
そして何かの拍子で
「いつ火事になってもおかしくないから、もう料理はしなくていい」
と言ったのを後になって後悔しています。

エピソード3

どこかへ行くとほぼ何かを忘れ物をするという生活でした。
ある場所で財布を忘れて
急いで戻って幸いにも見つかったのですが、
その直後に向かったレストランに鞄をまるごと忘れたこともありました。

部屋の中、自分の頭の中を整理するのが
極端に苦手なように感じました。

本人はもうそれに慣れてしまっているようでしたが、
例えば貴重品なんかを忘れると
「おいおい、大丈夫かよ」
と、周りの人が慌てたものでした。

こだわりが異常に強くやり方を変えたり
モノを処分することができない

エピソード1

こだわりが強く、
周りの助言は聞こえていないように感じました。
例えば「黄色より赤の方が似合うんじゃない?」
というのは禁句でした。
「えぇ〜絶対黄色の方が可愛いし、私のセンスに合う」
といった具合になるので、
初めから尋ねてほしくないと思っていましたね。

また、歳相応でないボーイッシュな服ばかりを好むのも
少し気になりました。

エピソード2

前述の「もう料理はしなくてもいい」と
私が口にしてしまうまで料理は比較的やってくれていました。

ただ、白だし+黒砂糖+酒のいつもの味付けで炒め物をするので、
彼女が料理をすると、いつも同じ味の料理が出てきます。
料理の腕の問題で1パターンしかできないと言うとそれまでですが、
違う味付けのものや違う料理を全くしてくれませんでした。

たまにはカレーとか作ってほしいと言うと、
「カレーは家で食べるものじゃないと思う」
という謎理論を返された時はびっくりしました。

さすがに飽きてしまうので
「今日は俺がつくるね」と言って
食べたいものをつくるようにしていました。

エピソード3

彼女は所有しているモノを処分することができませんでした。
同居が始まった時に自分のモノは一切捨てたくないと言うので
私が持っていた家財や電化製品を処分することになりました。

彼女が持ってきたモノの中には
置き場所のない机や賞味期限が3年過ぎた調味料がありましたが、
「絶対捨てない」という恐ろしいほどの執着めいた思いがあり、
机は分解して押し入れにしまうことで納得してもらい、
調味料は時間をかけてバレないよう少しずつ捨てました。

こだわりや執着が異常に強かったと思います。
時に周りから口出しされることがあっても
不思議なくらいに芯がブレない強い気持ちを持っていました。

物事の判断が即決であるがその理由は短絡的

エピソード1

何でも即決で1人で決めてしまうので

周りを振り回すことが多く、
転職する際にも自分の両親や私にすら相談してくれませんでした。
なぜ相談しなかったか聞くと
「もう私の中で決まっているから」とのことで
結局、書類の期日や試験場までの送迎や
職場が変わることへの対応(引越しや役所の手続き等)は
管理出来ないので周りが慌ててやるという感じでした。

エピソード2

別居に至るまで
彼女の母親が言っていた
「幼い頃に発達障害かもしれないと医師に言われていた」という
エピソードを私は気にもとめておらず、
発達障害の知識もなければ、
普段の言動から”ただのできない嫁”だと思っていました。

そして、気づいた時には私自身が
優しい夫→口うるさい親のような存在に変化していました。
喧嘩が絶えない日々が続き、
ある日、離婚届は出しておくと言ってあっさりと出て行きました。
知り合いの家を転々とした上で賃貸を借りたようです。

自分の両親にすら連絡をしないだろうと思い、
事情を包み隠さず両親・義両親に伝え、謝罪しました。
案の定、義両親は何も聞いていないといった状況でした。
どちらの両親もひどく落ち込んでおり、
申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

当の彼女はと言うと、
共有設定になったままのスマホの予定表を見る限り、
趣味のバスケや遊びの予定でいっぱいでした。
こんなに両家の母親が涙して心配している期間に
こいつは連絡さえせずに何をしてるんだとやるせない気持ちでした。
でも本人からすると”私の中では決まっていること”であり
“私にとっては過ぎたこと”なのでしょう。

事の大小関係なく決断が早く
あまりにも短絡的に物事を決めてしまうため、
周りの対応が大変でした。
その上、一度決めたら譲らないので、
説得する余地もありませんでした。

彼女にまつわるエピソードが私目線なので
一方的な解釈も含まれており、
不快な思いをした方はいらっしゃたら申し訳ないです。

私の方も言ってはいけないような言葉を発したり、
勿論、良くない言動があったのは承知の上です。

どういう生活だったかをより具体的にイメージ、
共有してもらうためにいくつかエピソードを紹介しました。

離婚前の別居生活

なかなか離婚を決断できずにいた

結婚後わずか半年で一緒に暮らすことが難しくなりました。
そして3ヶ月ほどの別居期間を経て離婚に至りました。

別居期間はどんなものだったかと言うと、
ただただ絶望しているような状況でした。
職場では気丈に振る舞っているつもりでいましたが、
地獄でしたね。

別居当時の自分に言葉をかけるとするならば、
「悩んだり考えても状況は変わらない」ということです。
少し冷酷な感じもしますが、
仕方がないことだってあるのです。

同じような言葉を両親からかけられてはいたのですが、
当の私はと言うと周りの助言が頭の中に入ってきておらず
このまますぐに離婚というのを受け入れられずにいました。

結局はその段階でまだ離婚を受け入れる準備が
できていなかったのだと思います。
「腑に落ちないから、このまま離婚すると自分自身にすら説明がつかない」 と親に対して言っていたのを覚えています。
その結果、ズルズルと離婚に至るまでに時間がかかってしまいました。

本を読み漁る生活

先にも書いたように、
この期間に多くの本を読みました。

1冊目に読んだのがこちらです。

どの書店に行ってもこの本が置いてあったので
定番の本なのかと考えて購入しました。

女性のADHDという本もあったので
こちらも読みましたが、
やはり特性に男女差があるのか、
こちらの内容の方がしっくりきました。

医師のカウンセリングを受ける

ネットで市の発達障害専門の相談窓口を見つけ、
カウンセリングを受けることになりました。
普通は本人や家族同伴でのカウンセリングらしいのですが、
事情を察してくれて私単独でのカウンセリングを受け付けてもらえました。

本を何冊も読んである程度知識を得たことで
今の自分ならやり直せるんじゃないかという
漠然とした期待感がありました。

go

〜〜〜〜といった感じで、
別居中なんです。
でも後になって気づくことが多く、
自分なりに本を読んで勉強して
今日カウンセリングを受けるに至ります。

カウンセラーの先生は50代くらいの女性の方でした。

カウンセラー

それは本当に大変でしたね。
それでgoさんは今後どうしたいんですか?

go

どうにか彼女を正そうと
言っても仕方なかったことを
言ってしまった日々を後悔しています。
でも今なら彼女のことを
理解できるような気もするんです。

だからすぐに離婚というのは
あまり考えられないんです。

カウンセラーの先生は優しい表情で話を聞いてくれます。

カウンセラー

今のあなたならお相手を理解できるかもしれない。確かにそうかもしれませんね。
でもそれって本当に2人にとって良い選択ですか?

go

う〜ん・・・。
それはやってみないとわからないです。

カウンセラー

そうですか。
ちなみにお子さんはいらっしゃらないんですよね?

go

えぇ。
そもそも結婚生活がまだ半年ほどでして。
子どもなんかの話も具体的にする前に
別居に至ってしまいました。

カウンセラー

実際に検査をしてみないと本当にADHDかどうかはわかりませんが、それはさて置き、私はこれまで多くの夫婦を診てきました。

結婚して半年してお相手が出ていかれた。
そしてgoさんとしては今になって思うところがある。

でもね、本当の苦労はこれからですよ。
多くの夫婦は子どもが出来てから今まで以上の困難に直面し、離婚するケースがほとんどなんです。
わずか半年でつまづいてしまっているのに、これから先の道のりを本当に一緒に歩んでいける?

go

今の段階で夫婦の問題に気づけたことはプラスだと思っていますし、先ほども言ったようにやってみないとわからないと思います。
(なんとかやり直すスタンスで考えているのに、この人あんまりこちらの気持ちを汲み取ってくれないのかな)

カウンセラーの先生は始めは優しく話を聞いてくれていたものの、
話の内容や口調が少しずつ尖ってきたような感じがしました。

カウンセラー

お相手は出ていかれて、
離婚の覚悟も決まっている。
お子さんはいらっしゃらない。
2人ともまだ若い。

本音で話をすると、これからの人生を生きた方がいいですよ。
例えば本人にあなたの思いを伝えてADHDの検査をしたところで、これからのあなた等の生活が変わりますか?

言葉を選ばずに言うと、離婚という道にもちゃんと向き合った方がいいと思われます。

まさかそんなことを専門家からいきなり言われると思っていなかった私は
唖然として言葉が出ませんでした。

go

・・・・・・。

カウンセラー

この数ヶ月かなり辛かったんじゃないですか?

go

えぇ。
地獄のような日々で耐えられなかったですね。それに考えれば考えるほど自分を責めてしまいます。

カウンセラー

だいぶお疲れのようですね。
何も発達障害について知らない状況から、理解しようと勉強なさって、相談所を探して仕事終わりに夜に1人で訪ねてくる。
よく頑張られましたね。

本日のカウンセリングや事前のメールでのやりとりの中で、goさんのことはある程度わかっているつもりです。

2人でいるとこれからずっとそのような生活が続くかもしれない。それは同じような夫婦を数えられないほど診た上で言っています。

今のところ離婚は考えたくないのかもしれませんが、固執し続けるのもよくないです。

go

まさかそういったような事を言われるとは思っていませんでした・・・。
でも自分なりに数ヶ月考えて、その度に自分を責めてしまいこのままじゃ納得いかないんです。

カウンセラー

でもね、自分は精一杯やった。
相手のために自分なりに色々考えた。
それで十分じゃない。
あなたはよく頑張りました。

2人で生活していたときも
仕事もやって家事もやってサポートして大変だったでしょ?精一杯やったんでしょ?十分じゃない。あなたはよく頑張りました。

結果的に2人での生活に繋がらなくても、相手に届かなくてもいい。精一杯頑張ったぞ、っていうだけで十分じゃない。
過去の自分を責めるのだけはやめてください。

私はお相手のこともそうだけど、
goさんのことも心配です。

あなたは既に悩み過ぎている。
自分を責め続けたり、固執した考えを持つのではなく、これからの人生をどうか生きてほしい。

「よく頑張ってるから、これ以上自分を責めないで」
話を聞きながら涙が出てきました。

カウンセラーの先生が言ってることが必ずしも正しいとは思わないし、
このカウンセリングが一般的に正しいかわかりません。

でも、悩みに悩んで
長いトンネルの中にいると思っていたのは幻想で、
相手がどうこうとか、ADHDがどうこうとかではなく、
トンネルを長くしているのは自分自身の固執した考えだったのだと
カウンセリング後に時間をかけて理解しました。

離婚

カウンセリングを受けた後、
やや吹っ切れた形で離婚の話を進めることにしました。

私と両親、彼女と義両親の6人で
離婚届にサインする場面を設けました。
全員が涙する形の悲しい会となってしまいました。

終始俯き加減で
会が終わった後、1人だけ振り返ることなく
逃げるように会場から出て行った彼女を見て
「何が悲しいって最後のあの態度だったな」
と言った父親の言葉が印象的でした。

今思うこと

結婚や離婚というのは人生の大きなイベントです。
私は一度失敗しましたが、
失敗から学ぶことも多くありました。

カウンセラーの先生に
“自分を責めるのはもう辞めて、
自分の人生を生きなさい”と言われましたが、
自分の人生を生きられているかどうかを確かめるのは
よく考えれば簡単なことでした。
「今必死になってやってるには何のため?」
これを考えることです。

別居生活の中でもがいていたのは、
残念ながら、彼女への愛のためではありませんでした。
どこかで両親や義両親の顔、
職場や親戚への世間体、
バツイチとなってしまうことへの恐怖など
外の要素を気にしてしまっていたのです。
周りへの承認欲求が強かったんだと思います。
そしてその彼女はとっくに離婚する覚悟を固めているわけですから、
文字通り1人で”もがいていた”だけだったのだと思います。

自分のせいでも彼女のせいでもなく、
他の何かのせいにしたくて
“ADHD”を敵に見立てて闘っていたんだと思います。

彼女の方はかなり早い段階で
次の人生に気持ちを切り替えていました。
そして驚くほど潔いものでした。

結婚だ、離婚だ、性格の不一致だ、
発達障害だ、ADHDだ
何か理由を見つけて小説の主人公にでもなったかのように
英雄ぶったり悲劇のヒロインになってみたり
そういった時間を過ごしていた私は
人生の真理に気が付くのが遅かったと思います。

人生の大きな決断をするとき、
繰り返しになりますが、
“自分の人生を生きること”を
選ぶべきだと思います。

何か理由を見つけて
自分の本心と向き合っていないうちは
残念ながら自分の人生を生きられていないことになります。



こうやって当時を振り返り、
筆をとるのに1年半の時間がかかりました。
読んでくれた誰かのためになれば幸いです。

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田舎移住DIY夫婦
パートナー2人(goとmanami)でこのブログを運営しています。 夫婦で仕事をしながら協力して生活する"夫婦ユニット"の生活スタイルを実践中。同じように夫婦で頑張る人を応援します!